霊が地上の空気中で目撃されます。が、そこは真空ではありません。霊と空気はまったく同じ場所に存在できます。霊が、空気を通り抜けていると思えます。

 なぜか? 原理ははっきりとわかりませんが、それが事実です。霊は我々の世界の空気とは干渉しないからです。が、霊は、霊世界の空気にはぶつかります。人の中に霊が入っています。あらゆる物質の中には、霊の成分が入っていると考えます。

 空気の中にも、霊の空気が入っています。が、それは霊をよけるのでしょう。人の体内に空気は入り込まないですね。人の体のあるところは空気はよけています。空気はありません。

 霊のいる場所は我々の世界の空気がよけたりはしません。奇妙な人型の真空はこの世にないからです。霊がいるところは、風も吹きません。よって、空気の霊成分だけが、霊をよけていると考えられます。どうしてか? 空気の中に入っているはずの霊成分は、霊がいる場所では、簡単に分離するからです。霊にぶつかると、霊成分が入っていない空気が簡単につくれるからでしょう。

 たいていの物質では、中の霊成分は簡単に抜けません。人は死ぬ時の一回限りです。壁も窓も、大地も中の霊成分は分離しません。が、空気は例外のようです。空気中に霊が生きて存在する、ということなどでここまで類推できます。

 水も空気と同じではないかと私は考えます。霊は地上でみつかります。雨の日、霧の日があります。が、霊は全滅しません。霧の日に全身穴だらけにならないのでしょう。蒸気が部屋に満ちた日に、霊は謎の死をとげません。もし、水を霊体がまったく通さないと、微細な粒子が全身を貫通して、霊体が壊れ、動かなくなります。

 が、霊は雨・霧の後に霊はみつかります。ここから、霊は水を通り抜けると考えられます。原理は空気と同じでしょう。水の中の霊成分は霊にぶつかると、簡単に水原子から分離するためです。

 よって、霊は水に沈みます。水中で亡くなったら、水で霊体が押しつぶされることなく、霊体は生きていられます。水難事故でも、霊が残ってよかったです。

 ここからいえることです。キリストの霊が水の上を歩いたのを見た弟子がいます。これは霊ならありえません。キリストの霊は人の霊ではなく、神の化身だった。もしくは、それはキリストの霊ではなかったのどちらかです。
 キリストは神の子で普通の霊でなかったと考えたあなたは鋭いです。ですが、神も霊ですよ… 神も水中に沈みます。答えは、弟子はキリストの霊を見なかった可能性が大です。私の論理は完璧でしょう?

戻る